リレーエッセイ

呼吸するかのように、まなざしを持つこと|#わたしとPIECES

2024年度から新たなメンバーがPIECESのスタッフとして加わりました。新メンバーの想いを綴ったリレーエッセイ「わたしとPIECES」、ぜひご覧ください。


こんにちは。4月からPIECESにジョインしました、笹本愛子です。いろいろなご縁が重なり、今こうやってnoteを書いていることが、なんだかとても嬉しく感じています。

これまで、「持続可能な農」をテーマとして生きてきたわたしが、今PIECESにいることを、少しだけお話させていただければと思います。

アフリカでの「農」との出会い

浪人生時代に「カラシニコフ(松本仁一著)」をたまたま読んだことをきっかけに、シエラレオネの少年兵たちに対し、強烈な興味を抱きました。

「なぜ地球の裏側ではこんなことが起きているのか。とにかく現場を見に行きたい」
と思いながら浪人生時代を過ごし、その後なんとか大学生になった直後の夏、たまたま大学のプログラムで、東アフリカの内陸国・ルワンダを訪問することになりました。

社会問題をきっかけにアフリカ大陸へ興味を持ち始めましたが、実際にルワンダの大地を踏み、そこに暮らす人々と時間を過ごすうちに、その想いは一蹴されました。

複雑かつ多くの問題が社会に満ち溢れているものの、毎日をとても豊かに過ごしとても幸せそうに暮らす人々が、わたしの心に鮮明に残りました。
以降、バックパーカーやインターンを通して東アフリカ諸国と触れ合ううちに、その地で暮らす人々の暮らしの中にある「農」「農業」の存在感に気付かされました。

これがわたしと農との出会いであり、結果として今日までも、農家さんと関わり続けることをライフワークとしていく原点となっています。

 

去年、福島にてコンバインデビューしました。

 

多様性に触れた

そんな農との関わりを深める一方、社会の多様性ということにも触れる機会もこれまで多かったと今改めて感じます。

留学生としてアメリカで生活していた際、アジア人が多い西海岸にいたからか、ネガティブな意味で人種の違いを目の当たりにすることはほとんどありませんでした(ナイーブ過ぎて、気づいてなかっただけかもしれませんが。。)。
それ以上に、人種も国籍も言語もバックグラウンドも、何もかも全く異なっていても、同じ関心や想いで人との繋がりは生まれるんだ、ということに気づかされました。

たぶん厄年だったんでしょう、
2年間のうちに毎年1回交通事故にあうという強運時代でしたが、
そんな中も様々な友人や見ず知らずの人に助けられました。

新卒時代にフィリピンに駐在していた際も、
わたしの周りにいたフィリピン人が最強にハッピーでポジティブな人種だったからか、初めて行った国にもかかわらず、自分がここにいてもいいんだ感を自然と感じさせられました。

PIECESとわたし

転機となったのは、妊娠を通してでした。
とりたてて困難があるような妊娠期ではなかったものの、自身の身体が刻一刻と変化していく中で、社会の異物となっていく感を強く抱き始めました。

妊娠・出産をとりまくニュースで頭でっかちになっていたせいでしょう、
街中で自分が妊娠していることを知られることが怖く、
なぜか引け目を感じるような妊婦生活を送ることとなりました。

そんな経験が引き金となり、
産後のマタニティブレインに鞭打ちながらGoogle検索をしまくっていたところ、PIECESの斎さんが携わる、NPO法人ピッコラーレによる妊産婦のための居場所づくり事業「project HOME」と出会いました。

自分自身、社会福祉との関わりは、行政サービスの一環として享受される程度でしたが、そんなことは一切関係なし、とにかく自分ができることをなんでもいいからしたい、そんな想いで、妊娠が困りごとではない社会をつくろうと邁進するピッコラーレへ関わるようになりました。

これまで自分の肩書きや役割で社会と関わってきたアプローチから、まっさらな一市民として関わり合う一歩目だったと、今になって感じています。

長くなってしまいましたが、そんなきっかけでPIECESと出会い、今があります。わたしが尊敬する農家さんたちは、当然のこととして、自然や循環を尊重しながら農的活動を日々営んでいます。わたしが諸外国で出会った人々も、困っていようといまいとも、目があったら声をかける、脊椎反射的に人とコミュニケーションするカルチャーが根付いていました。

これからのPIECESでの活動を通し、そんな呼吸するかの如く他者を尊重しまなざしを持ち続ける未来を、PIECESと一緒に見ていきたいと思っています。

 

笹本愛子

大学院にて農業経済学専攻後、NPOにてフィリピンでの農業マイクロファイナンス開発、日本でのファンドレイジングに従事。その後コンサルティングファームにて、日本企業の新興国・開発途上国への進出支援や、サステナビリティ経営戦略策定に携わる。
現在は、自ら立ち上げた乾燥野菜の製造・販売事業を中心としながら、社会・環境にとってサステナブルな未来に向け、様々なプロジェクトに参画中。

未来をカタチにする為に|#わたしとPIECES

2023年度から新たに、4名のメンバーがPIECESのスタッフとして加わりました。
約2カ月に渡ってお届けしてきた新メンバーの想いを綴ったリレーエッセイ「わたしとPIECES」も今回が最後です!CforCコンソーシアム推進担当のざんそんの記事をご覧ください。


 
 

「あかん。。。1年後の働いているイメージが全然思い浮かばへん。」
これは予測つかんぞ、と。でも脳内アラートはキレイな「青(やってみたい)」。

そんなPIECESの「魅力」に惹き込まれた1人、それが僕です。

こんにちは。6月よりPIECESにジョインしたむらやまこと「ざんそん」です。
主にCforCのコンソーシアム推進や事務業務を担当します。

前職では約9年間、IT企業のサラリーマンとしてICTを活用した事業企画を担当したり、またある時は公益財団法人の立場として、東日本大震災の復興支援を目的とする中間支援事業に携わってきました。
おいおい、なんだか充実してそうじゃんと思われがちですが、正直、職場環境や人にも恵まれて大変充実した日々を過ごしておりました。

しかしながら。モヤモヤすることが全くなかったわけでもなく。
と言うのは、「広く浅く」社会課題と向き合う立場だったせいか、もう一歩踏み込みたいと思う気持ちが芽生えてきたんですね。
あえてカッコつけるなら「逃げ出せない場」に身を置いて、本気で関わりたいというような。一担当業務だからではなく、その社会課題や掲げる世界の実現にコミットメントしていきたい、想いは年々増していくばかりでした。

そんな最中に出会ったのがPIECESでした。きっかけは「CforC ファシリテーター募集」の採用記事。

「子どもの孤立」の解決に向けて、あえて「普通の人(市民)」をボトムアップすることで子どもたちが「頼れる」関係つくりを醸成していく、よく分からんけど面白そうなアプローチだなというのがPIECESへの第一印象。まずは軽い気持ちで説明会を聞いてみよう。。。

そこから先はもう不思議のオンパレード。笑
説明会や採用プロセスの中では「市民性とは?」、「やさしい間」、「コンソーシアム」など、まさに禅問答のようなキーワードがずらり。「曖昧さや余白」を大切とする言葉を前に、「***ってどういう意味っすか?」と採用面談なのにこっちから質問してばかり。まさに「異文化」に触れた感覚でした。

しかしながら、ホントに考えたこともなかったので、考え出すとこれが面白い。「あかん。。。1年後の働いているイメージが全然思い浮かばへん。」は、まさにこの時。
1年後が描けないからこそ描いてみたい。そんなチャレンジ意欲も焚きつけられて、じわじわとPIECESに惹かれていきました。

結果的に、PIECESとご縁をいただくことができました。
カルチャーショックを経て、今は新しいことに携われることにワクワクしています。

PIECESを「異文化」と表現しましたが、つくづく世界は多様な価値観に溢れてますよね。そんな多様であることを前提として受け入れ、ときには傷つくこともあるけれど、互いに理解し、尊重し合えることが「当たり前」となる世界、そんな未来を描きたい。

想いをカタチに、「普通の人」の1人として、PIECESのメンバーと共に、前のめりに、ときに躓きながらも、泥臭く実現していきたいです。

 

村山 裕紀

CforCコンソーシアム推進
青年海外協力隊(エジプト/青少年活動)やNPOを経て、ソフトバンク株式会社のCSR部門としてICTを活用した学校スポーツ支援や次世代第育成等のプロジェクト企画推進に従事する。また、公益財団法人東日本大震災復興支援財団を兼務し、助成金や給付型奨学金の事業運営にも携わる。
退職後、「子どもを支える社会の土壌つくり」に共感し、2023年6月よりPIECESに参画。主にCforCプログラムのコンソーシアム化推進や組織管理を担当する。

切なさや儚さに押しつぶされないように

2023年度から新たに、4名のメンバーがPIECESのスタッフとして加わりました。そこで、新メンバーの想いを綴ったリレーエッセイ「わたしとPIECES」をスタート。
3人目はCforC運営スタッフのあやかさんです!2週間に1回、新メンバーへバトンをつないでいきます。


Photo by kesano_sora

理由も無く、ただ涙がぽたぽた流れ落ち、呆然と立ち尽くす瞬間がたまに訪れる。嬉しいのか悲しいのか、自分でもよく分からない。閉じ込めていた感情、心の奥の奥にある柔らかくて脆いものが放出する瞬間。

いつも元気なあの人の弾けるような笑顔、ご飯を頬張るあの子の様子、そんな場面で目を細めるあの人の眼差し、「大丈夫だよ」と呟いて握りしめてくれた手の温かさ。こんな瞬間に触れると、胸がぎゅっと締め付けられる。

その人がその人らしく、ありのままでいること。誰かが誰かを思う気持ち。見返りなんて必要としない無条件の愛と信頼。わたしは、そんなものにめっぽう弱くて、受け取ったあとも自分のなかで熟成され、ふと思い出したときに泣けてきてしまう。

わたしはそれくらい、周りの人から揺らぐことのない愛や些細な思いやりをたくさんもらってきた。むしろわたしはそれだけで生きてきたのではないかという自負があるくらいだ。こうした周囲の優しいまなざしがなければ、わたしはきっとすぐにポシャっと崩れ落ちてしまうような人間なんだと思う。

Photo by taketaketj

前置きが長くなりました。初めまして。2023年4月からPIECESのスタッフとしてジョインしました西角綾夏です。

PIECESに惹かれる理由は冒頭だけで十分なのではないかとも思うけど、今回わたしの自己紹介とPIECESにジョインした胸の内を、綴ってみようと思います。

◆◆◆◆

どこから自己紹介をしようかと、遡ったときに浮かんできたのは、大学2年生の頃。やりたいことを見つけて好きなことをしなければ!と一種の強迫観念に駆られていた時期に、小学校の心の相談員をしていた母が話してくれた、一人の女の子の話に涙が止まらなくなったことがあった。必要以上に大人びて、子どもらしさを失われている様子が自分と同化したのだ。

あのときからわたしの取り組みには「子ども」がずっと軸にある。なぜ「子ども」にこだわるのか、その理由は今もはっきりしない。子どもも大人も、一人の人間であることに変わりはないし、年齢で区別をつけたくもない。だけど、物心つくかつかないか、その人の根っこが形成される時期には興味があるし、自分は自分で大丈夫なんだと思えるような、人の優しさに触れるのは早いに越したことはない気がするのだ。

その後わたしは教育学部を卒業し、教育ってそもそもなんだろう?という探究をするために大学院で教育哲学を学んだ。大学院時代に、子どもの心の孤立を防ぐ“子どもと大人のバディプログラム”を運営するWe are Buddiesに出会い、その事務局としてかかわることで、どんどんのめり込んでいった。大学院卒業前には、新宿の一軒家「れもんハウス」で住み開きをして、子ども・親子のショートステイを行うなどした。このどちらもが今でも自分を形成する一部だ。このふたつの活動を通して、いろんな子どもたちに出会ってきた。

心がギュッと固まっている子どもや、スポンジのように見たもの感じたものを吸収していく子ども。どんな子どもにも、「自分だけを見つめてもらえた」という時間はなくてはならないもの。それがほんの一瞬でも、何気ない仕草でも、その子の心には一生残る。子どもたちとの付き合いが長くなってくると、わたしも忘れていたような些細な出来事が、その子の心には刻まれていたのだと、実感することも増えてきた。

この一瞬があればこの子は大丈夫だ、と思う反面、この子の人生に自分が刻まれていることが少しだけ怖くもなったりする。人は勝手に育つのだけど、人生のお守りのような瞬間に自分が刻まれていることの、尊さとその重みに、ちょっとひるんだり、自分の心がいっぱいになって苦しくなったりもする。

わたしのことなんか思い出さなくたっていい、恩や感謝なんて感じなくていい。ただ、そのままでいてほしい。自分は大丈夫だって思えてくれたらいいな。そんなことを願う。

でもこれはきれいごとかもしれない。自分のことを大丈夫だって思えるような、強い人はそんなにたくさんはいないし、不確実で理不尽で傷つくことも多いのが人生だろう。そんなときに、思い浮かぶ何かがあることは、やっぱり大切だ。

自分がこれまで受け取ってきたものに気付き、その記憶に触れることは、どん底から這い上がるきっかけになる。ただ、その一方で、受け取ってしまったものの重みに押しつぶされそうになったり、簡単に自分の人生を諦められなくなるという別の苦しみも生まれるかもしれない。その人がどれだけ自分のことを思ってくれていたのかと胸がいっぱいになりながら、なにか恩返しをしたいと思うけど、自分にできることはそこまでなくて自分のちっぽけさに落ち込んだりもする。誰かを思うことって、ややこしくて複雑だ。

それでも、誰とも交わらず、悲観と諦めの無機質な世界だけで終わってはもったいない。どうせ苦しむなら、目に映る世界の色鮮やかさや温度を感じながら足掻いてみることを選べたらいいのでは、と何周か回ってようやく自分の考えが結局ここに落ち着く。

発する言葉はなくてもただ傍にいること、目があったら微笑んでくれたこと、もらった言葉、まなざし、あの温もり。愛や優しさという目に見えないものが秘める力が、もっともっと広がったらいい。


きっと、わたしはその一端を自分が担うことには、迷いや葛藤を抱き続ける。そして、誰かと誰かが交わる温かさや、心が柔らかくむき出しになった瞬間に、愛しさと切なさでいっぱいになるかもしれない。そしてきっと、そんなふうに受け取りすぎる自分のことを面倒くさいな、と思う。切なすぎて苦しいなんて贅沢な悩みだ。でも、もうそれは仕方がない。わたしはそれくらい温かくて優しい世界線に呼応するように生きている。

これまではその世界線に守られて、ぬくぬくと生きてきた。だけど、そんなことが通用しない世界線もまだきっとあるし、そんな世界を知らなかったり、そんなのおとぎ話だと目をつむって、もがいている人がたくさんいる。自分の望む世界線を広げるために、必要なことは、自分自身の在り方を問うこと、小さなところから行動していくこと。異なる世界線にいる人とも接点を持ち、自分ができることを試し、そこで自分自身をどう健やかに保っていけるのかを問い続ける。PIECESにジョインしたのは、自分にどんな在り方ができるかを探求するチャレンジです。

西角綾夏

CforC運営
大学で小・中学校の教員免許を取得し、大学院では教育哲学・教育思想を専攻。卒業後は、子どもと大人ボランティアが、細く長くフラットな信頼関係を築く、一般社団法人We are Buddiesで勤務。西新宿にある、れもんハウスという一軒家で住み開きをしながら、子ども・親子ショートステイの受け入れを行うなど、共に生きることを探究中。

少しずつの優しさが紡がれると。

2023年度から新たに、4名のメンバーがPIECESのスタッフとして加わりました。そこで、新メンバーの想いを綴ったリレーエッセイ「わたしとPIECES」をスタート。
2人目はCforC 運営スタッフのきえさんです!これから7月にかけて、2週間に1回、新メンバーへバトンをつないでいきます。楽しみにお待ちください!


PIECESに4月より新たにジョインしました、さかぐちです。

PIECESが伝える「優しい間」。
そこにつながる私自身の2つの原体験を通して、PIECESと自分の接点をお話ししたいと思います。
人生初noteです!よろしければお付き合いください。

私は3人きょうだいの真ん中として共働き家庭に生まれ、
自営業の父母は土日や夏休みももちろん仕事という環境で育ちました。

同年代の子たちから聞こえてくる、
「週末に遊びにいった」
「お祭りにいった」
「キャンプにいった」

というような声に対して、
「私も行きたい」と親に言ってはいけないということを、子どもながらに感じていました。
そのような中でも、たまに会う親戚の大人の人たちのおかげで、私の子ども時代は豊かなものになりました。


サラリーマン家庭の叔母が週末のお出かけに便乗させてくれたり、
大叔母が夏祭り行くことを毎年恒例行事にしてくれたり、
阪神タイガースが勝つとお小遣いをくれる大叔父と甲子園で野球観戦をしたり、
叔父夫婦に憧れのディズニーランドに連れて行ってもらったり。
叔母の嫁ぎ先のキャンプに呼んでもらい、遠い親戚の子たちと遊ぶということもありました。

きょうだいの多い家系だったため、会う機会は少なくとも親戚の子どもたちを当たり前のように
気にかけてくれる大人が自然といて、私にはたくさんの思い出ができました。
とてもありがたいことだったと思っています。


非日常な時間はこのように彩られていきましたが、日常の中では幼少期の私は、
きょうだいの真ん中で何かと人と比較してしまい自己主張できず、
心に少しの寂しさをいつも抱えているような子どもでした。

そんな自己肯定感の低い私を受け止めてくれたのは、4歳頃から通っていた絵画教室の先生でした。


私の気持ちを知ってか知らずか、「なんだか描きたくない」という様子の時もそうでない時も、
「いいの、いいの。あなたはいるんだけでいいんだから。」
と何度となく言ってくれる先生。

何も描かずに事務仕事のお手伝いをして終わるという日もありました。

できるようにならないと、上手って言ってもらわないとと思っていた私の肩の力は抜け、
「いるだけでいいんだ」
と自分でも少しずつ思えるようになっていきました。


今思い返してみても、絵を描くこと自体が特別好きだったわけではないのですが、
大学2年生頃まで通っていました。
自分を受け止めてくれる存在が心の寄り処になり、私にとっての居場所になっていたのだと思います。

誰しも人生が嫌になり、生きることが辛くなるという時が多かれ少なかれあるのではないかと思います。
私もこれまでに数回、生きている意味がないと感じてしまう時がありました。

もうどうでもいいや…終わらせたい…そんなときに思い浮かぶのは、
私の場合は、家族や友達より、まなざしを向けてくれた大人の人たちでした。

そんな人たちの顔が次々に頭に浮かんでくると、
「あー、ちゃんと生きないといけないな」
そんな言葉が自然と湧いてきて、もうちょっとだけ頑張ってみることができました。

大人になった今、中学生や高校生の悲しい選択がニュースに流れてくる度、
「この子と私の違いはなんだったんだろう」
「気にかけてくれる周りの大人がいたか、いなかったか、それだけの違いだったんじゃないだろうか」
と考えるようになりました。

私にはたまたま親戚がたくさんいて、習い事を通して信頼できる大人と出会うことができましたが、
誰かと特別に濃い関わりがあったわけではありません。

特別な誰か1人ではなく、それぞれの少しずつの優しさが、私の今につながっています。


私が救われたように、
「ちょっとした優しさが紡がれ、誰かの生きる力になっていく、優しい間が地域にひろがっていく」
そんなシーンを、優しい間が広がる世界を、近くで見てみたい。
そう思ってPIECESのメンバーになることを決めました。

わたしとPIECESの関係は、まだ始まったばかり。
これから見られるであろうさまざまなシーン、出会いがとても楽しみです。

私の少しの優しさも、誰かの生きる力につながっていけば。
そんなことを願いながら、今日もPIECESでの日々を過ごしています。

さかぐち きえ

CforC運営
大学卒業後民間企業を経て入職したNPOで、学びの場づくりやファシリテーションを経験。その中で生まれる人々の変化を見ることがやりがいに。まちに開かれた保育園の立ち上げに携わり、子どもたちの周りに専門職だけでない頼り先の必要性を実感。子ども・大人・地域のより良い未来を願い、主に非営利組織や教育分野で活動中。

大切な時間をPIECESで|#わたしとPIECES

2023年度から新たに、4名のメンバーがPIECESのスタッフとして加わりました。そこで、新メンバーの想いを綴ったリレーエッセイ「わたしとPIECES」をスタート。
1人目はCforC 運営スタッフのなおさんです!これから7月にかけて、2週間に1回、新メンバーへバトンをつないでいきます。楽しみにお待ちください!


 
 

PIECESにこの春ジョインしました、いずもりです。
事務局長から「PIECESにジョインした経緯、PIECESと自分の接点をnoteに書いて」と、愛あるパスをいただきました!

さくっと浅い経緯を書くと、

  • 採用説明会で、PIECESのビジョンに共感

  • 長年携わった社会教育現場とファシリテーションの経験を役立てたい

  • 昨年創業した、私設公民館の運営にも役立つ学びが得られると思った

という3点なのですが、今回は「どうしてPIECESのビジョンに共感するのか」という点を書きます。
自己紹介のひとつとして、過去の原体験にお付き合いくださると幸いです。

私が生まれたのは1970年代。
父、母、祖母、そして父と20歳も年の離れた大正生まれの叔父、の5人家族でした。

叔父は学校に行ったことがありませんでした。
文字の読み書きもできず、友達もいませんでした。

叔父のお世話は、障害という言葉が分からない幼少期からの日常でした。
交差点の真ん中で交通整理のマネをする叔父を見つけて連れ帰ったり、
対応してくれる理髪店が見つからなくて母と3人で探しまわったり。
小さい頃から大きな叔父の手を引いて、近所をよく歩きました。

常に予測の斜め上を行くハプニングが起こる毎日でしたが、
明るい母が、いつも笑いや冗談に変えてくれていました。

叔父が悪気なく持ち帰るお菓子代を駄菓子屋へ払いに行くときも、
「かっこええなぁ。おじちゃんは、お得意さんやからツケ払いやな」と言ったり。
家電のスイッチを気に入って、一日中パチパチして壊してしまうと、
「根気がええなー。家電の耐久テストがあったら雇ってもらえるなぁ」と笑ったり。

心無い暴言や偏見に傷つくことがあっても、畑のあぜ道を通るたびに
野菜を持たせてくれるオバチャンなんかもいて。
今思うと、母の明るさと市民性豊かな地域のお陰で、私に悲壮感はありませんでした。

とは言うものの、叔父に家族以外の交流や仕事はなく。
ふと、私の横で新聞をビリビリ破いて遊んでいる大きな人を見ながら、
「おっちゃんは、本当に幸せなのかな。」と、幼いながらも疑問を抱いて大きくなりました。

明治生まれで保守的な祖母が病床に伏したことで、叔父は初めて公に社会と接点を持つことができました。
すでに72歳。
弟(私の父)と同じ白いビジネスシャツを好んで着て、「シゴト、シゴト」と嬉しそうにデイサービスの送迎バスに乗り込んでいました。
そのわずか数年後、ぷつりと切れるように亡くなりました。

私がPIECESのビジョンに惹かれた理由は、「せっかく生まれた尊い命が、環境や特性によって本来の力を発揮できないまま終わるのを見過ごせない姿勢」に自分を重ね合わせたからかなと感じています。

偶然の時代背景や家庭環境のために、多くの悲しみが放置されている社会。
他人事と思えたら、それまでなのかも知れません。
でも、そうは思えないモヤモヤを、PIECESに集まる人たちはみんな何かしら抱いているのではないでしょうか。

生い立ちの中で味わった、ちょっと苦くて切ない思い出と、少しの悔しさ、憤り。
それをプラスのエネルギーに変えて、誰もが「こういう人生を生きたい」という願いを叶えられる社会が実現できるように。
そのために私の大切な時間を使いたいと、PIECESメンバーになることを決めました。

そして、当時、本当はとても疲れていた私たち親子にさり気なく声をかけて、いつも野菜を持たせてくれる、あのオバチャンみたいな。
ちょっとだけお節介で温かい、人や眼差しに満ちた空間=『優しい間』がたくさん生まれたらいいな。

そんな風に思って。
今日もPIECESのお仕事に励んでいます。

 

泉森 奈央

CforC 運営
大学で社会教育(生涯学習)を学び、奈良市公民館職員として20年間勤務。2022年に公民館長を退職。集い、学びあうコミュニティづくりを一生続けたいと、ファシリテーターのいる私設公民館WellComeを創設。主に市民団体の会議ファシリテーターや研修講師として活動を行う。人と人がつながり、楽しそうに笑う様子を見ている瞬間が至福の時。社会のあらゆる場所に温かく豊かな時間が増えることを目指して活動を続けている。