セミナーレポート|まちの風景から眺める、子どもの暮らしと市民性

まちの風景から眺める、子どもの暮らしと市民性

12月6日(日)、「まちの風景から眺める、子どもの暮らしと市民性」、九州大学大学院人間環境学研究院専任講師の田北雅裕さんをお招きして公開講座を開催しました。

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講師:田北雅裕

九州大学大学院人間環境学研究院 専任講師

 

◆講座内容

講座は以下4つのセクションに分けて進められていきました。

・まちの風景から眺める

最初のパートでまず話していただいたのは、田北さんのこれまでの経歴やまちづくりの姿勢についてです。これまで田北さんが実際に行ってきたまちづくりの事例の紹介を踏まえながら、まちづくりに取組む姿勢として、一人ひとりの市民が役割を越えて困難な状況を乗りこえる「つながり」についてお話いただきました。

・まちの広がりの中で

ここでは、「ひとりの市民となる」、「グレーゾーンの子どもたち」というタイトルで、「一市民」によるまちづくりの可能性について話されました。特に印象的だったのは、ショートステイ里親についてのお話です。平成29年のデータでは、児童虐待相談対応件数のうちの約96%の子どもたちが、親子分離をせずに在宅で過ごしているということが示されていました。つまり、多様で幅のあるリスクを抱えた子どもたちはそのまま「まち」で暮らしているということです。田北さんは、その子どもたちのリスクがエスカレートしないよう予防するとともに、代替養育と在宅支援のスムーズな連続性も必要とされるとお話ししてくださいました。そこで、一時預かりとして、ショートステイ里親という制度を紹介してくださいました。

・対談①~まちづくり×子ども~

講師の田北さんとPIECESの斎、そしてNPO法人セカンドリーグ茨城の横須賀さんの3人で「まちづくりの視点から見る、子どもへの関わり」について対談をしました。

子どもを守るという意思、「子どものため」とされているからこそ、社会の中に切実な子どもの情報が出てこない構造があると田北さんは話されていました。

例えば、虐待がある子ども達を地域で守る組織があるとき、その組織では守秘義務があり、子どもや家庭情報が外に出ないようにしているとします。情報が漏れることで、子どもが危険な目にあったり、不都合が起きたりするかもしれないからです。そうして、組織外の人、つまり地域の人には「困りごとを抱える子どもたち」が非常に見えづらい状況が作られていきます。

そのような状況があるなかで、同じ地域に住む私たちはどのように子どもたちに関われば良いのかという話題になりました。そこで田北さんは、時々会うような人がいる、キャッチボールをする、ただそれだけの関係がその子にとってはかけがえのないということもあるとお話しされていました。長い時間をかけていく中で、ある面では自分の専門性が発揮されたり、ある面では違う側面が出てくる。些細に思える関係性や関わり方でも継続して関わっていくことで変化していくこともお話しされていました。

・対談②~まちづくりで大切にしていること~

前のセクションに続き、3人で対談をしました。まちづくりや関わり方について考えたとき、良い/悪い・正しい/正しくないといった価値基準だけではなく、その人やまち、コミュニティにとって必要な「ふさわしさ」があるのではないかという観点についての話題が出ました。田北さんは、「例えば、デザインであれば、新しいものやインパクトがあるものが良いとされがちです。そういう観点はこちら側の価値基準であることが多く、リスクが高い」と言います。新しくなくても、古びた関わり方であっても、その人が救われるなら、それが「ふさわしい」関わりなのではないかと言葉を続けてくださいました。

<公開講座当日の様子>

◆当日の質疑応答の様子

質疑応答の様子png

当日は講義動画をそれぞれで視聴した後に、数人ごとで感想共有を行い、全体で質疑応答を行いました。

質疑応答では、「何か子どもたちと関われないかと養護施設の方に相談した時に、その方の言葉で躊躇してしまったことがある。里親へのケア、行政はどこまで対応してくれるのか」、「福岡市の「みんなの里親プロジェクト」は、子どもたちからはどんな反応があるか。また、それをうまくいかせるために、どんな工夫をしているか」、「親が困り感がない(けど親御さんがおそらく困っている様子は子どもも感じていて、実際に養育にも影響が出ているように感じる。)場合、介入方法によっては有難迷惑になったり、家族を傷つけることになりそうですが、どんなことを気を付けて介入しているか」といった多くの質問が参加者から寄せられました。


質疑応答の中で、「デザインの視点を、わたしたちひとりひとり(デザイナーではない市民)が、実践の中に取り入れていくには、まず最初にどんなことに気をつけたら良いか。またどんなポイントがありますか?デザインや、ランドスケープデザインの両方の観点から知りたい。」という質問に対し、田北さんは以下のように答えてくださいました。

「みんな人を見過ぎている。人の問題に向き合うからだと思いますが。僕は川の流れを見るだけで穏やかになれた。そういうことから対人関係が柔らかくなったり。風景やランドスケープを考えた時に、人以外のものと向き合いながら、人との関係を変えていくということがある。実際皆さんもそうしていると思う、音楽聴いたり。でも、人と人との関係になった時に、人にばかり向いてしまっている。対人援助という言葉に引っ張られて、ちょっと人に向き過ぎな感じがある。その時に風景とか、人以外のことに向き合うことで、別の関係性が見えてきたりとか。そういうことは風景的視点なのかなと思います。」

人と人との関係性という言葉には、向き合い過ぎてしまうがために難しさがあったり、硬直してしまうことがあるのかもしれません。そういうときに相手にばかり目を向けるのではなく、一緒に何かするという形で視点をずらしてみる。そうすることで、相手も自分も心地よい関係性が生まれていくのかもしれません。

◆感想

以下、参加者からの感想です。

・まちづくりという言葉やまちの定義が、元来自分が思い込んでいたのは、社会的な規範があってそれに沿った公共的なもの、と言うイメージだったが、田北さんは、そもそも公共とは零れ落ちる人が出ないように、そこで生きている多様な人や価値観みんなが存在して良いのだと肯定して、全ての人を受け入れる余白や余裕=優しい間があることがふさわしい、と考えてまちの課題解決→里親を増やすことで、零れ落ちる子どもにまちのみんなで手を差し伸べようとされていること。そんな優しいまちが理想の風景のあるまちだと思うし、現在申し込んでいる、プロジェクトコースでも学ばせていただく点が沢山あると感じました。

・今現在、子育て以外で主に子どもと関わるような活動はしていないのですが、CforCがはじまって以来、子どもと関わることとは?自分にできることとは?なにかやりたい!という気持ちの中にチラ見えする「はじめるべき」と思っている部分……

そんな自分がすごく気持ち悪いなぁと思い始めていたので、田北さんの仰っていた「子どもに出会いにいくっていうのは不自然」というお話が印象的でした。これを伝えたところ、「そこの違和感に気づいただけでオールオッケー。これからも何か判断していく時の糧になる。ただその「子どもに出会いにいくっていうのは不自然」という言葉に囚われすぎないように」という言葉をいただきました。なんかCforCをせっかく受講したのに、という気持ちと自分自身の何もできてなさに(ネガティブになっているわけではないですが)少しモヤモヤしてたので、嬉しい言葉をいただいたなと、、

・私も、辛い時やしんどい時は海に行って無心で波音を聞いていました。これも風景に助けられてたんだなと感じます。話さなくても一緒に山に登った、海を見た、星を見た、そういう経験から寄り添えることもあると実体験から感じました。もっと風景について聞いてみたいと思いました。ありがとうございました!