PIECESの行う、子どもと関わる市民育成プログラムの全国展開第1拠点目は茨城県水戸市。「セカンドリーグ茨城」さんとの協働で実施している今回のプログラムは、7月にスタートし、9月には3回目の公開講座とゼミが行われました。
今回の公開講座のテーマは「子ども期の生きづらさに心を寄せる」。
関貴教さん(児童養護施設職員/認定NPO法人いばらき子どもの虐待防止ネットワークあい理事)、小野瀬直人さん(IT企業役員)、横須賀繭子さん((み)当事者研究会主宰)の3名をゲストに、CforCメンバーと一般の方に向けた講座を開設しました。
「子どもの生きづらさとは何か」について講師のみなさんの話と対話の中で、思いを巡らせる時間となりました。
児童養護施設職員として働く関さんは、子どもの生きづらさは「〜すべき、〜するのが普通」という価値観によって引き起こされると言います。
子どもは両親の元で育つべき、お母さんは子育てをしっかりするべき、女の子はスカートを履くべき。
そんな「べき論」の中で、心を押し殺してしまう。
べき論を極力無くした環境を関さんは施設で作ろうと尽力されています。
たくさんのルールが存在する社会の中、関さんの働く児童養護施設にあるルールはたった一つだけ。
「理由なく誰かを傷つけてはいけないよ」ということ。
愛情や安心の育まれる家庭という場所が存在しない子どもたちにとって、施設がその役割を担うこととなります。「理由なく誰かを傷つけない」このルールにさえ従えば、関さんは無理に子どもに宿題をさせることも、嫌いな食べ物を食べさせることもないのだそう。
とことん「なぜ」に寄り添って、子どもたちにとって信頼できる大人である。
日々子どもたちの生きづらさに寄り添う関さんの姿勢から沢山学ぶことがありました。
「私の親は里親でした。私は里子です。昔私は児童養護施設というところにいたそうです。」
ご自身の幼少期の写真を投影しながら淡々とそう口にした小野瀬さん。
養子として育った小野瀬さんは、多くの子どもたちと生活を共にしてきました。
小野瀬家で養子として育てたのは小野瀬さん一人だけでしたが、常に複数人の子どもをうちで預かっていたそう。そのため、家に帰れば多くの子どもたちがいて、自分の学校の友達も、預かってきた子も、みんなごちゃまぜで遊ぶのが小野瀬さんにとっての日常でした。
「わたしは生きづらいと思ったことはありませんね」
人のためを想って、人のために泣ける。どんな子も「よその子」という認識はするな。
そんな両親の元で育った小野瀬さんは、決して自分の境遇を嘆くことなく、実の両親を恨むことなく、淡々と人生を振り返ってくださいました。
スクリーンに映し出される写真はみんな良い表情で、社会的養護の元にいる子どもたちへ向けられる勝手な「かわいそう」という視点が如何に一方的なものであるか、考えさせられました。
自身が不登校、精神病など複数の問題の当事者だった横須賀繭子さん。
自殺を考えたり自傷行為をしたりするほどに心を病んだこともあった横須賀さんにとって、回復の足がかりとなったのは、複数のコミュニティでした。
精神の安定しない母親の元で、幼少期から目をかけてくれる大人の存在がなく、引っ越しもしていたから地域との繋がりもなかったそう。
生きづらさとは、「生きづらさに気づいてもらえないこと」だと横須賀さんは言います。
しかし、子どもの生きづらさはとても目に見えにくい。
「子どもにだってプライドがある。助けてもらったことがないから諦めている。そもそも自覚がない。」
そんなことが生きづらさを目に見えにくくしているものだと。
そんな生きづらさから抜け出すために、必要だったのは自身にとって大切な人、そして自分を大切にしてくれる人だったと語ってくださいました。
「良い子って、大人にとって都合の良い子、でしかないんだよ」
その言葉が大変胸に沁みた今回の公開講座でした。
公開講座の後には、CforCメンバーでゼミを行います。
今回は一つの事例を元に、自分だったらどう振る舞うか、背景にどんな願いや価値観があるかをみんなで確認しました。
自身の子どもと関わる際に立ち現れる自分自身の願いや価値観に気づき、自分の感情を置き去りにしないことを大切にしよう。
子どもと関わる際の「ありたい自分像」を確認し、それに対する感情を振り返りました。
負の感情が表出されたシーンも多く見受けられた今回。
その感情を「抱きしめたい?地下室に閉じ込めておきたい?誇りに思っている?」と、素直な感情を大切にしてもらいました。
多くの感情を振り返って、かなりのエネルギーを消費しながら懸命に向き合っている姿が印象的でした。
いよいよ次回は4回目、折り返しの回となります。
このプログラムを通じてどう変化し、どう深めていくのか。
参加者の顔が徐々に変わっているように思えます。
次回もお楽しみに。