~コロナ禍の活動の困難と壁
佐藤さん:どこの現場に行っても感じるのは、そこの子どもたちが社会の尺度や鏡になっているなあということです。子どもたちがどういう状況に置かれているのか、どういう目をしているのか、どういう夢を持っているのか、どういう夢を描けないのか。そういったことに社会が映し出されると思っています。
子どもは「未完成な大人」ではないのですよね。子どもたちは独立した人格と尊重されるべき立場です。国や地域、文化を超えてそれぞれの素晴らしさを持っています。大人たちが見逃してしまう疑問や世界の美しさに気づくことができて、それを遊びとして表現できるのが子どもたちです。
日本国内外でそれぞれの土地の子どもたちと関わり続けてきた皆さんですが、このコロナ禍で、皆さんの活動にも壁を感じられることはあったでしょうか。どんな難しさがあるのでしょうか。
いぶきさん:みんな同じ状況にいるように見えて、生活環境などを要因に実は全く違う体験が生まれているなと感じます。家や家庭が安全でない若者たちがいます。ネットカフェが居場所だったのに、コロナで閉鎖されたり利用制限がかかったりして、居場所がなくなってしまうなど、ステイホームという言葉がとてもしんどい子どもたちがたくさんいます。
また、学校が休校になっている中でオンライン学習が広がっていますまた、、タブレットが家にない、Wi-Fi環境がない、そもそも保護者がそういう情報にアクセスするのが難しいなど、一定数の子どもたちが取り残されやすくなっています。
児童養護施設の中では、外部からのボランティアさんが入ることで、ひととの関わりが生まれていたのですが、コロナ禍でボランティアの受け入れができなくなり、これまであった人と人としてのリアルな関わりが断たれるということも起こっています。
普段からあった生活のほころびや、社会の歪みが顕在化したなと感じます。
瀬谷さん:私たちの活動で感じる壁は大きく2つですね。1つ目がテロ組織の勧誘のリスクが高まっていること。このコロナ禍はもともと弱い立場のひとたちがさらに弱っている状態で心にすき間ができやすくなっています。
そこに、このコロナ禍は政府の陰謀だとか、このままでは君たちは救われないとか、我々と一緒に活動すれば救われるとかのテロ組織のうたい文句で勧誘されてしまう。勧誘されやすくなっています。
2つ目が児童婚。生活が困窮してしまう貧困層に多いのですが、女の子を嫁がせる代わりに、富裕層から金銭を受け取れるのでこのコロナ禍の困窮で増えています。小さい子で10歳とか10代半ばの女の子が、ときには60歳などのはるかに年上の男性と結婚させられてしまう。私たちの活動地域の多くで見られるほんとうに深刻な問題です。
児童婚を苦にして自殺してしまう女の子も出てきています。南スーダンなどの日々の食べるものにすら事欠くような地域でも、それよりも自殺を選ぶという女の子がいて、その深刻さが分かると思います。
牧野さん:私たちの活動は、小児がんに対するものとシリア難民に対するものと2つあるので、まず小児がんの方ですが、政府が移動制限を敷いたので、遠方から治療を受けに来ていた子どもたちが県境を越えられなくなる、受診できない、という問題が起きています。
なので、受診の特別許可を取ることができた患者さんに、自宅近くの地域の受診できない患者さんへ薬を託す、地域の病院でも治療を受けられるようにする、などの緊急対応を取っています。
シリア難民の問題では、失業が特に目立ちます。シリア難民のひとたちはイラクで働くことができるのですが、工事現場やレストランなどで働くひとが多く、コロナの影響でそういう現場や店が全部しまってしまい、職を失ってしまっています。
生活ができないので、まだまだ安定しないけれどシリアに戻る、と言うひとたちが特に5月や6月はよく見聞きしました。あるいはトルコを経由してヨーロッパを目指すという話もかなり見聞きします。
松永さん:アンマン市内はイラクでも日本でも同じだと思いますが、職を失うひとが多いです。ヨルダン人もそうなのですが、難民の方たちは日雇いの率も高く、工場やレストランが軒並み閉まっていく中で、ほんとうにお金が手に入らないという状況で過ごさねばならない家族の話をたくさん聞いています。
ヨルダンは徹底的なロックダウンを行ったので、文化的に男性が家の中で力を持っている地域なので、DVなどに直面した女性がSOSを出せない状況が発生しています。この期間中に自死される方のニュースがちらほら見られます。ヨルダンはもともと自死が多くない地域なので、状況の深刻さがわかります。
一方で、難民キャンプは、支援団体のキャンプ入構に制限がかかっていた時期もありました。入れない間に連絡を取ったら「いや、僕たちの生活、大して変わらないよ」なんて皮肉を込めて言われました。彼らはこういう不自由さを7年も8年も続けてきていたんだなあと改めて体感しました。
佐藤さん:こういう世界的に大きな出来事があって始めて自分事として考えられるということなのかなとお聞きして思いました。僕自身、ガザ地区の女の子と話をしていて、「Black Lives Matterとか世界中で人権のことが叫ばれているけど、そもそも私たちの人権には誰か目を向けてくれたの?」と聞かれたことがあります。
そういう話を聞くたびに、僕らが日頃目にしているニュースは非常に偏っているのかもしれないなと思いますし、もっともっと現地のひとの声に耳を傾けていかないといけないなと痛感します。
~困難な環境と孤立、そしてケアの効力
佐藤さん:難民として暮らす子どもたちはなかなか難しい環境にあると思うのですが、孤立しがちな環境にいるということは、助け合いの意識が育っていくものなのか、孤立が進み、深まってしまうものなのか、どうお考えでしょうか?
牧野さん:一概には言えませんが、難民のひとたちはやはり故郷に戻りたい方が多いので、ここは自分の家ではないという言葉はよく聞きます。故郷を離れている状態が長期間に及ぶと、将来を見据える力や描くビジョンに強く影響するんだなあと感じることはよくあります。未来を希望と一緒に思い描くことが難しくなりますね。
瀬谷さん:最近の世界的な傾向ですが、一般的に想像するテントを張った難民キャンプが存在せず、都市に流入して廃墟や違法な住居などに暮らいわゆる都市難民が増えています。難民キャンプを作っても生活苦や治安の悪化やテロ組織の勧誘場所になってしまって外に出る人もいれば、そもそもキャンプの収容数が足りず入り切れなかったひとたちが知人などをを頼って都市へ流れ込む。
難民は一般的に、女性の世帯主が多い。トルコでは、お父さんがシリアの戦闘で亡くなってしまった、あるいはお父さんは本国に残してお母さんが多い時は10人の子どもを連れて難民として避難してきている。お母さんは忙しくて難民同士でもつながれない、トルコのコミュニティとは言葉の壁があって情報を得られない。
トルコ政府は、登録さえしていればシリア難民も支援してくれるのですが、言葉の壁で行政の難民登録手続きもままならない。私たちは手続きの通訳や翻訳、交通手段の提供などの支援で、これ以上孤立が深まらないように活動しています。
松永さん:子どもたちは良くも悪くも慣れてきますよね。彼らの日常はキャンプでの生活になってしまっています。ヨルダンとシリアの国境は2018年に開いているのですが、親がやっぱり帰れないという選択をして残っている子どもたちがたくさんいます。外への憧れがありつつ、故郷に帰りたいと言い続けているのに帰れない。子どもたちにとっては結構大きいショックであると私たちは感じています。
その中で、シリアに戻る選択をする家族もいて、学校でシリアに帰る子のお別れ会が開かれる時があります。そんな時、すごく羨ましそうな顔をする子がいたり、「うちのお母さん帰れないって言ってたもん」という子がいたり、帰る、帰らない、どちらの選択にも葛藤の重みや壁を感じます。
佐藤さん:結局、国って何だろう、故郷って何だろうという問いが余りにも置き去りにされたまま、ただニュースとしてだけ難民の方々が消費されていっているように思います。孤立の長期化という点で、子どもたちの孤独に親以外で最初に気づいてあげられるひとは誰だとお考えでしょうか?
いぶきさん:保育・教育機関や医療機関、地域のNPOや任意団体等の様々な場や人、コンビニやネットカフェなどの店員さんといったインフラになりつつある場、行政機関ですでにその家族に関わる人でしょうか?
まず、家族ごと孤立する場合、そこに接点がなくなる、あっても関わることが難しくなっている場合があります。特に、外部との接点が少なくなり、親密圏に誰も関わらず、かつ困難な状況が続くと、もともと親密圏にあった関係性の勾配や、潜んでいた暴力性が顕在化することがあります。また、困難を親密圏の中だけでなんとかすることは難しいことも多く、親密圏の中で疲弊していくけれど、誰かに頼るのが難しいことも起こることがあります。そのような中で例えば親密圏の中の暴力があっても、そこに誰も介入できなくなるということが起こります。
このような状況の前に、何かあったら関われるような関係性が育まれていることも大事なのではないかと思います。
子どもが学校に通っているなら、学校の先生との良好なつながり。一方で、学校に通っていない子たちがとても取りこぼされやすくなります。
また、医療機関も家族と出会える場ですし、行政機関と繋がっている場合もあります。地域のNPOや団体が運営する場が大事な家以外の場所になっていることも少なくありません。
一人ひとりの地域に住んでいる市民という意味で、コンビニの店員さん、訪れたひと、それこそ電車で乗り合わせたひと、私たちですね。すれ違っているのに見ないことにしていないかとか、自分の目に映らないだけで、ほんとうはすぐ隣に孤独を抱えた子どもがいるのかもしれないということを意識し続けたいと思います。
松永さん:私たちは公立学校で授業をしています。学校には教育省の管轄でソーシャルアドバイザーなどカウンセラーのようなひとたちがいるのですが、私たちの授業を担当している先生のところに話に来てくれる子どもが結構います。子どもたちが打ち明けたいと思うには、絶妙な距離感が必要なのかなと思っています。
キャンプの中でも、20~23%の割合で働くなどして学校に来られない子どもたちがいます。そんな子と道端でばったり出会って、「なんかもう、家でも仕事場でもほんとうにたいへんなんだよ」という話を聞かせてもらったりもしています。
~活動の中で子どもたちからもらった宝物
佐藤さん:このメンバーで話しているとあっという間に時間が飛び去ってしまいますね。子どもたちというのは、僕ら自身がかつて見えていたけれど、今は見えなくなってしまったものを教えてくれる大切な存在で、僕らの誤りを気づかせてくれる存在ではないかなと思っています。現場での活動を通して、子どもたちからいただいた宝物を教えてください。
牧野さん:すべての活動を通して、人間って誰もが尊厳が大切なんだなということです。子どもたちのシリアに帰りたいという願いも、普段の会話に出てこない心の奥に持っているもので、それを共有してくれたということをとても大切に思います。おとな一人ひとりがもっと気づいてあげられるようになることも必要だなと気づかされました。
松永さん:子どもの時分にしなくても良いことをたくさん経験している子どもたちがいて、その気持ちを私も周りのおとなもどこまで理解できるんだろうと考えることがよくあります。でもこれって、子どもの頃の自分の想いとか記憶とかをきちんと心の引き出しにしまっておくのが大切なんだなと。
自分の気持ちとちゃんと向き合ってゆくことが、子どもたちの気持ちにも丁寧に向き合うことなんだなと改めて思いました。
瀬谷さん:紛争地には生きるか死ぬかの選択肢すらない人たちがいる。人生を自由に生きる権利を、紛争地のひとたちに増やしていきたいと願って活動しています。そして、自分の手の中にある人生の選択肢にも目を向けるようになりました。その時にしかできないことを、やるかやらないか。やらないのなら、選ばなかった選択肢は自分の決断であることを意識して、自分の人生にも社会の行く末にも責任を持つということを、日々教えてもらっています。
いぶきさん:3つあります。1つ目は、まだ見えてない人の、そして社会の痛みも可能性もあるということ。自分の価値観や経験で作られた「めがね」をわたしも持っています。それはとても大切なメガネでもあるけれど、自分のめがねで見たいように見たいものだけ見ていると、どもたちの感じていることや願いにはたどり着けないんだろうなと。そして、もしかしたら、見えない願いが気づかれず、見えていないことの痛みの上に、社会が成り立っていく可能性があるのだろうなと。子自分が見えている範囲に限界があり、見えていないけれど共に生きている、過ごしているという人が、ことが、ものがあるということを自覚して、人を一人の人として尊重していきたいと思っています。
2つ目が、子どもたちは環境に左右されるということです。だからその環境を作っている私たち大人一人ひとりがそのことをちゃんと意識する必要があります。子どもたちの環境にどう関わっていくのか、その環境にある、大きな危機の前の小さな小さな兆しをどう感受するのか。その関わりには正解はないから、わたしは生涯ずっと問い、学び、働きかけ続けていくのだということを学びました。無自覚に加担している社会に起こる様々なことについても同様です。、 最後に、目の前の子の、出会う人の、そして社会にあるレジリエンスにも目を向けるということ。今起こっていることは、歴史的・文化的に内在化されてきた暴力性やバイアスといった様々なことが影響しています。同時に、その中で育まれてきたレジリエンスも存在し、それが新たな可能性を生み出してきてもいます。だから、困難な状況でも回復や癒えを育んできたレジリエンスやwellbeingを受け取っていきたいと思います。
佐藤さん:皆さん、今日はどうもありがとうございました!